『メアリー・スーを殺して』(中田永一著)という物語が好きだという話

 学生時代にハマった物は生涯魂に刻まれ続ける、そのようなツイートを見かけた記憶がある。

 

 『本をめぐる物語 一冊の扉』(ダ・ヴィンチ編集部編)は、ブログ主が中学生だった頃に買った一冊だ。確か学校で読書強化期間なるものが出来て、朝の会の前に15分程本を読む時間を設けられたため急遽書店で選んだ……と記憶している。記憶が合っているかは知らない。

 

 初めてこの本の表紙を開いた時、この物語は私のためにあるのではないかと思った。

メアリー・スーを殺して』(中田永一)である。言ってしまえば冴えないオタクの女の子が小説の創作を始め、斎藤ロビンソンという人間と共にアニメ・コミック・ゲーム研究部(ACG部)に入部し、部誌である『千の扉』に小説を寄稿し、メアリー・スーという概念を知り、それを消すために奔走し、成長して、いつしか創作が必要なくなってしまうという話だ。

 

 主人公が、凄く自分に近かった。自分も現実の逃避に夢小説を書いたし、メアリー・スーと呼べる存在を当然のように埋め込んだ創作をしたことがある。自分は冴えない存在であるし、漫画やアニメが好きで、二次創作という概念を知ってからは脳内で勝手にキャラが動き出した。小中学校時代はそうして何だか楽しくない日々を楽しく過ごしていた。

 

 この話を読み返すたび、主人公が独りよがりで世界に閉じこもるしかなかった日々に共感する。あの時は痛々しかったな、とか、一人きりで殻に籠っていることの寂しさを思い出す。そして、主人公は小説を上手くなるため、自分を美化して投影することのないよう─つまりメアリー・スーを消すため─自分を磨くことの出来た情熱や素直さを羨ましく思う。

 

 物語が進むにつれて、主人公は成長する。冴えないオタクの主人公は痩せてすっきりとし、美容も覚え、アニメやゲーム以外の話題にもついていけるようになり、リアルが充実する。自分を小説に投影する必要がなくなり、小説を書く理由も無くなる。大人になる。一人でキャラクターのポスターの前で喋る事も無くなる。

 

 ……けれど、彼女の残した物は無駄ではなかった。リアリティーの追求として資料を集め、実際に自分でも試し、フィードバックした彼女の小説は、確かに読む人の胸を打ったのだ。彼女が部誌に残した小説はその後後輩たちに熱狂的に迎えられる。孤独だった彼女は確かに読者へと繋がっていた。

 

 物語の終盤、主人公の友人、今は出版社の編集バイト兼ライターとなった斎藤ロビンソンが、あの日一緒にACG部に入ろうと誘ったように、大学生になった主人公に対して「また何か書いてよ」と誘う。もう自分は何も書けないと言う主人公に対して「後輩達も待ってる」と言う。懐かしいACG部の部室で座っていた主人公の前に、メアリー・スーが現れる。

 

『「もう忘れたの? きみが私を殺したんじゃないか」』(『メアリー・スーを殺して』P36)

 かつて誰からも愛されないと感じた主人公の、その裏返しのような存在。最強で、誰からも愛され、そして物語を崩壊させる存在と相対する。それは主人公と決して切っても切り離せない関係で、さみしかった十代の記憶であり、大切な存在だった。

 

 そうして主人公は、自分のことを待つ人間に向けて書くために、メアリー・スーに呼びかける。十代の頃の、何も恐れず情熱だけで書いていたあの日々を思い出すように。

 

 

 現在ブログ主は、主人公と同じく大学生である。『メアリー・スーを殺して』のような少年少女の成長譚は正直に言ってありきたりかもしれないが、それでも思春期の似たような子供だった私には滅法強く心に刻まれてしまった。

 

 だから私は『メアリー・スーを殺して』という物語が、好きだ。

きっとこの先も、愚かながらもがむしゃらに創作をしていた頃を思い出すために、この話を読み返すだろう。

 

 

『本をめぐる物語 一冊の扉』については他にも好きな話がたくさん詰まっているので是非読んでいただきたいが、今日の記事はここまで。

 

(『メアリー・スーを殺して』という物語があまりに好きすぎて、朝日新聞出版の『メアリー・スーを殺して 幻夢コレクション』の単行本も買ってしまったブログ主であった。こちらも面白い話ばかり揃っていたので是非)(ダイマ